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「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」プロローグその⑱

林幹事長の「きさらぎ会」
0512a私とSは西岡派と思われる主な企業の名前を挙げながらため息ばかり吐いていた。

元々は西岡党といわれた企業の多くが西岡武夫氏の知事選出馬はないと判断し、前年(平成9年)の11月までには金子陣営に後援会名簿を提出していた。土建業界で勝ち馬に乗るか乗らないかは会社の存続に関わる重大な判断だった。

しかも地元ゼネコンは自民党長崎県連幹事長の林義博氏が「きさらぎ会」を立ち上げており、気勢を上げていた。金子知事誕生に向けて自民党本部も自民党長崎県連も猛烈に土建業界を締め付けていた。
当時の林義博幹事長といえば自民党長崎県連最強の幹事長と噂されていた。
林幹事長は元々が佐世保市で珠算塾を経営していたが、どっちかというと親分肌のマル暴に近い雰囲気のあるヤンチャな県議でもあった。その頃、長崎市内をカ シミアのベージュ色のロングコートに白いマフラーという伊達な格好をした林幹事長をよく見かけたもんだが、大柄の身体でゆっくりと歩く姿は貫禄がありヤク ザの親分そのものって感じだった。

平成8年(1996)、衆議院選挙に4区の佐世保市から若手の宮島大典氏(33歳)を引っ張ってきて西岡武夫氏が出馬する長崎1区に落下傘出馬させると いう離れ業を演じ、西岡氏に13000票まで肉薄するという大健闘の選挙を仕切ったのも「きさらぎ会」の林幹事長だった。

林幹事長は珠算塾の先生らしく前回の宮島VS西岡の経験で長崎市内でも金子氏が一定の票を取れると確実に読んでいた。それに橋本龍太郎自民党の人気と勢いで金子県政誕生は間違いないと、この頃は確信していたようである。

きさらぎ会の会長だった林幹事長の側近の筆頭にいたのが大石保県議の甥っ子にあたる㈱三基のM氏だった。Mは林幹事長の信頼も厚く林氏の秘書的存在として 業界では有名だった。金子県政が発足する前から長崎県発注の公共工事は「きさらぎ会」が差配し、㈱三基は林幹事長とM氏の働きが功を奏して順調に受注額を 伸ばしていた。知事選後には長崎市の片山弁護士とK氏が「きさらぎ会」と林幹事長を公選法違反で刑事告発するという騒動まで起きている。

0512bその後、私が林幹事長と稲佐山のルークプラザホテルの花あかりで会食した時に同席したのもやっぱりM氏だったのを思い出している。

全国大手中堅ゼネコンの中央会支部は自民党長崎県連会長の松谷蒼一郎氏が窓口になって資金面でバックアップしていた。その先鋭部隊が大林組、戸田建設、日本国土開発が知事選が終わる前から論功行賞の筆頭と囁かれていた。

しかも自民党本部の力の入れようも半端ではなかった。西岡武夫VS自民党という構図そのものだった。自民党は党本部から大物政治家が連日のように長崎入り していた。長崎の街も人も金子県政誕生という断崖絶壁に向かってまっしぐらに走っていた。「日刊セイケイ・長崎浪人・中山小六(洋二)」