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5月13日、令和に相応しい長崎県議会の議長・副議長が決まる

令和元年、令和に相応しい長崎県議会の議長・副議長が5月13日(月)に決まる。

議長というのは議会の最大会派から選ばれるのがふつうだ。

現在の長崎県議会の最大派閥は自民党県民会議(会派長・田中愛国氏)の17名である。

それに続く第二会派が瀬川グループ(瀬川光之氏)の14人だったが、ここにきて、平戸市選出の西川克己氏(無投票)が議長の椅子を餌に瀬川グループに合流し、15人となっている。

そもそも瀬川グループというのも胡散臭いグループだが、この西川克己なんてのは政治家という前に人として信用できない最低な男である。

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この西川という県議は自民党県民会議に所属し、自民党三役の総務会長を務めていたが、今回の県議選の真っ最中に自民党県民会議を離脱し、自民党清風会(1人)を名乗っていた。

瀬川グループに合流した理由がふるっている。

大物国会議員に平戸市市議会議員の大物市議を対抗馬に擁立するぞ、と脅され、更に人事(議長の椅子)を餌に、あっちにくっつき、こっちにくっつきという見苦しさである。

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また、瀬川グループを名乗る瀬川光之のとんでもない行状まで明らかになってきている。

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瀬川氏は昨年10月、夜逃げ同然のようにして倒産した五島産業汽船(野口順治社長)から多額の寄附金を受けていたのが明らかになっている。

五島産業汽船(野口順治社長)は長崎県から多額の補助金を頂戴していたが、その一部が自民党長崎県連の幹事長だった瀬川光之氏の懐に入っていた事実である。

五島産業汽船(野口順治社長)が長崎県から頂戴していた補助金は長崎県民、国民の血税である。
ここにきて五島産業汽船(野口順治社長)の補助金の不正請求(詐欺)のカラクリが明らかになろうとしている。

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昨日、本誌は瀬川氏に取材の面会を申し込んでいたが、5月13日の人事が終わるまで会えないとの返事だった。

会う会わないは瀬川氏の勝手だが、取材や調査は勿論、書く書かないも本誌の勝手である。

議長云々の前に議員としての資格、人としての資質に問題ありと言ってるのである。

瀬川さんよ、長崎県議会の議長になる、ならないの前に、五島産業汽船(野口順治社長)から流れてた金の説明を県民にきちんとしなさい。

長崎県議会、汚れた議長選挙の 多数派工作

投稿者=県政地獄耳

統一地方選挙も終わり、4月26日長崎県議会議員の会派届が完了。

自民・県民会議17人、(会派長・田中愛国)、自民14人+1人(▽西川克己),(会派長・瀬川光之行)改革21.9人(山田朋子・山口初實・深堀ひろし・坂本浩・宮島大典・堤典子・饗庭敦子・中村泰輔・赤木幸仁)、公明3人(川崎祥司・麻生隆・宮本法広)、共産1人(堀江ひとみ)、県民・島民の会1名(山田博司) の構成となっています。
 

5月13日に議長選挙が行われますが、自民党議員が圧倒的多数を占めながら分裂して主導的立場で、多数派工作か展開されています。

政党とは国民の民意に基づいて政策を実現するための集団であります。

したがって、自民党県議から議長を選出するのが順当です。

ところが国会議員6人の中で谷川、金子の両氏は利権兄弟グループを形成し、私利私欲や党利党略のために瀬川グループをアメとムチで支配し、政策を共有する政治家に対しても、自分たちの利益に繋がらない人を排除することが、議長選挙を複雑にし、県民を不幸にしようとしています。

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夜逃げし倒産した五島産業汽船(県からの補助金受給企業)から多額の政治資金を受け取っている瀬川光之県議

県行政は知事と議員の二元代表制によって成り立っています。

県民の民意はこの二つの政治家に伝達されています。

この制度の中で地方行政を、どうして国会議員が知事や県議を支配しなければいけないのか?

県民にとってどの様な利益があるのか?

谷川、金子両国会と瀬川議員らにお尋ねします。
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色即是空・空即是色と国会で般若心経を説きながら色と欲に執着している谷川弥一・金子原二郎氏

中村法道知事は卓越した手腕を持たれ長崎県民のために働いておられます。

ことの発端は反知事派(谷川、金子、瀬川グループ)と親知事(田中グループ)派に別れての主導権争いになっています。

経済が低迷する長崎県下でこのような時間はありません。

最後になりましたが、『公明、清潔』を売りとする公明党の存在ですが、私利私欲を売りとする瀬川グループに賛同するとは考えにくいと思います。

また、自民党と公明党の選挙協力関係は御承知の通りですが、瀬川グループに傾斜することは、自民党県議の約半分を敵に回すことになり、国政選挙では大きなリスクを背負うことになります。

(敬称を省略しました)(続く)

○金子、谷川グループと犯罪者との関わり。

○自民党の県会議長選出のルール(瀬川幹事長誕生の理由)

1.谷川、金子国会議員親族が絡む国営諫早湾干拓事業の不法入植者問題解明のため百条委員会 が設置されましたが弁明対策のための暫定幹事長について。

2.谷川、金子の命により議長選挙に立候補したこと。

3・議長選挙のための 多数派工作として谷川部屋と称されている前田哲也,宅島寿一、山本啓介、山下博史 と行司役、瀬川光之の行動について。

4・改革21、深堀浩『国民民主党、九州電力労組、長崎北高卒』の議長選挙の行動について

5・県会議員の賭マージャンと称する『賭博、常習賭博について』

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瀬川グループと親交を温め、飲み打つ買うの組合貴族県議の深堀 浩県議 

史上最低の投票率の県議会に相応しい長崎県政史上最悪最低の瀬川光之議長が誕生する。

4月7日に行われた長崎県議会選挙だが投票率は史上最低の44%だった。

史上最低の投票率でも5月13日(月)には県議会の議長・副議長が選出される。

2年前、長崎県議会は議長の椅子を巡って、自民党長崎県連が揉めに揉めて御家騒動が勃発、とうとう自民党長崎県連が分裂するという事態にまで発展している。

平成24年にも自民党長崎県連は3派に分かれて分派したこともあったが、前回の分派と今回の分裂に共通するのは二人の大物国会議員が県政・県議会に異常な執念と強い関与を示した結果である。

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8年前(平成23年)、自民党内に自民党清風会(14人)を結成し、自民党を分派させた時も背後に二人の大物国会議員がいたことは誰でも知っている。

結果的に残った自民党議員6名(小林克敏・馬込彰・中山功・小森明人・宮内雪夫・野本三雄)は改革21と連立会派を結成して二人の国会議員の鼻を明かしてやったのは痛快だった。

そしてまた2年前(平成29年)、自民党長崎県連を分裂させたのも自民党清風会を名乗るグループ(瀬川光之一派)だった。

清風会と聞けば清々しい感じがするが、必ずしも清い風が吹いてるわけではない。

むしろ東京の方から吹いて来る饐えた臭いは清い風どころか、悪臭さえ漂わせている。

県政を私物化しようとしている二人の大物国会議員の走狗と言っても過言ではない。

その走狗集団ともいえる瀬川光之一派(14人)が、今回の議長選で改革21(9人)と野合の連立会派を組めば14人+9人で23人、共産党の堀江県議は「堀江ひとみ」に清き一票を投じ、一人会派の山田博司も議長選挙は蚊帳の外として、残り44票の過半数23でめでたく瀬川議長の誕生となる。

ただし、史上最低の投票率の県議会に相応しい長崎県政史上最悪最低の瀬川光之議長誕生ということになる。

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さ~山田ゴン太退治も一段落したことでもあるし、あとは最後の県政大掃除である。

船上の応援歌(江口満・書き散らし)

3泊4日の長崎~那覇~石垣島は飛行機に乗ってる時間が往復で約5時間の楽しい飛行機旅行である。
飛行機に乗ってる時の楽しみの一つが本を読むことである。
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私は面白かった本を何回も読む癖がある。

石垣行きの飛行機の中で何回も読んだ江口満さんの「書き散らし」(船上の応援歌)を読みながらホッコリした気分になっていた。

江口

今年の夏は江口満さんを沖縄や石垣島に招待したいと願っている。

そして敗軍の将に兵を大いに語ってもらいたいもんだ。

書き散らし(江口 満 著)

船上の応援歌

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舟木一夫が「高校三年生」でデビューした年に平戸の猶興館高校に入学した。

生月丸に揺られて約一時間の船旅。通い始めの四月、時化の時は「げーげー」と吐く日が続いたが、二週間もすると

慣れてきて、潮風が気持ち良い海上の道になった。

そんな四月中旬「一年生はみんな集合せろ」と三年生から命令がかかった。

約三十人の新入生が船尾に集合すると、破れ学生帽の番長らしき三年生が「帽子をとれ!これから応援歌の練習をす

る!よいか!」と「みよ猶興の健男児」と歌い始めた。

同級生の女の子はは上のデッキから、ニコニコしながら見ている。

恥ずかしそうに歌い始めると「声が小さい。前に出ろ!」とのお達しで、私を含め何人かが一歩前で大声で歌った。

以来、時化と期末試験日以外は毎日の応援歌通学。秋の体育祭では、担任から「生月の生徒は応援歌が旨い」とお

褒めをいただいた。それもそのはずだ。なにも好きで旨くなった訳ではない。

ちくしょう、三年生になったら俺達もやるぞと心に誓った。

当時三年生は天皇のような侵すべかざる存在だった。

授業が終わって船が出るまでの間、上級生達は崎方公園でタバコを吸ったり彼女と歩いたりとしていたのに、新入

生には厳しかった。

十年が過ぎ、県庁に入って建設関係の許認可の担当になった。

ある日、「○△建設ですけど、申請書を持ってきました」という男性の声に振り向くと、あの時の番長の顔だっ

た。とっさに直立不動の姿勢になった。と同時に、我々の天皇のあまりに低姿勢に驚いた。

秋になると東京オリンピックが始まった。

運悪く中間選挙が重なったが、船上通学生は勉強などそっちのけで世紀の祭典に夢中だった。

三宅義信の重量挙げや東洋の魔女のバレーを船が揺れるたびにザーザーと音をたてるテレビを見た。

高校を出て35年。生月に橋が架かり、高校の制服が変わり、プールの代わりだった白浜の防波堤が埋め立てら

れ、すっかり時代は変わったが、高校の想い出となると真っ先に出てくるのは、船上の応援歌である。

                                      (2002年3月)

江口満少年がどんな顔をして「みよ猶興の健男児」を船上で歌っていたのか、想像するだけでも楽しい。

中学しか出ていない私にはこんな微笑ましい想い出がないから、ほんとに羨ましい。

今度生まれて来るとしたら、生月の番長に生まれ、生月丸の船尾のデッキの上に立ち、「みよ猶興の健男児」を歌

う江口満の顔を見たいもんである。「ちくしょう」。