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船上の応援歌(江口満・書き散らし)

3泊4日の長崎~那覇~石垣島は飛行機に乗ってる時間が往復で約5時間の楽しい飛行機旅行である。
飛行機に乗ってる時の楽しみの一つが本を読むことである。
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私は面白かった本を何回も読む癖がある。

石垣行きの飛行機の中で何回も読んだ江口満さんの「書き散らし」(船上の応援歌)を読みながらホッコリした気分になっていた。

江口

今年の夏は江口満さんを沖縄や石垣島に招待したいと願っている。

そして敗軍の将に兵を大いに語ってもらいたいもんだ。

書き散らし(江口 満 著)

船上の応援歌

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舟木一夫が「高校三年生」でデビューした年に平戸の猶興館高校に入学した。

生月丸に揺られて約一時間の船旅。通い始めの四月、時化の時は「げーげー」と吐く日が続いたが、二週間もすると

慣れてきて、潮風が気持ち良い海上の道になった。

そんな四月中旬「一年生はみんな集合せろ」と三年生から命令がかかった。

約三十人の新入生が船尾に集合すると、破れ学生帽の番長らしき三年生が「帽子をとれ!これから応援歌の練習をす

る!よいか!」と「みよ猶興の健男児」と歌い始めた。

同級生の女の子はは上のデッキから、ニコニコしながら見ている。

恥ずかしそうに歌い始めると「声が小さい。前に出ろ!」とのお達しで、私を含め何人かが一歩前で大声で歌った。

以来、時化と期末試験日以外は毎日の応援歌通学。秋の体育祭では、担任から「生月の生徒は応援歌が旨い」とお

褒めをいただいた。それもそのはずだ。なにも好きで旨くなった訳ではない。

ちくしょう、三年生になったら俺達もやるぞと心に誓った。

当時三年生は天皇のような侵すべかざる存在だった。

授業が終わって船が出るまでの間、上級生達は崎方公園でタバコを吸ったり彼女と歩いたりとしていたのに、新入

生には厳しかった。

十年が過ぎ、県庁に入って建設関係の許認可の担当になった。

ある日、「○△建設ですけど、申請書を持ってきました」という男性の声に振り向くと、あの時の番長の顔だっ

た。とっさに直立不動の姿勢になった。と同時に、我々の天皇のあまりに低姿勢に驚いた。

秋になると東京オリンピックが始まった。

運悪く中間選挙が重なったが、船上通学生は勉強などそっちのけで世紀の祭典に夢中だった。

三宅義信の重量挙げや東洋の魔女のバレーを船が揺れるたびにザーザーと音をたてるテレビを見た。

高校を出て35年。生月に橋が架かり、高校の制服が変わり、プールの代わりだった白浜の防波堤が埋め立てら

れ、すっかり時代は変わったが、高校の想い出となると真っ先に出てくるのは、船上の応援歌である。

                                      (2002年3月)

江口満少年がどんな顔をして「みよ猶興の健男児」を船上で歌っていたのか、想像するだけでも楽しい。

中学しか出ていない私にはこんな微笑ましい想い出がないから、ほんとに羨ましい。

今度生まれて来るとしたら、生月の番長に生まれ、生月丸の船尾のデッキの上に立ち、「みよ猶興の健男児」を歌

う江口満の顔を見たいもんである。「ちくしょう」。



 

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