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4月12日(金)19時~20時「橋本つよし総決起集会」長崎市民文化ホール

4月12日(金)19時~20時「橋本つよし総決起集会」長崎市民文化ホールで行われます。

令和元年、『長崎を変える』
かえる

みなさん、お誘い合わせて参加してください。

当たって勝とれ!橋本つよし

「結婚式の非常識」江口満(書き散らし)

江口満さんのエッセイ『書き散らし』の1997年11月に書き散らした項の「結婚式の非常識」は、平成18年(2006)の長崎県のビッグニュースをドンピシャリと予言している。

1997年は平成9年であり、高田県政最後の年である。

平成9年は消費税が5%に上がった年であり、県内では壱岐「原の辻遺跡」が国遺跡に指定され、県営野球場(ビッグNスタジアム)完成した年である。

江口満(書き散らし)

江口

「結婚式の非常識」

結婚式のシーズン。この秋は四組から案内状を頂いた。

親類、友人、同僚、知人のそれぞれ係わりが違うので、何かと比較文化論を楽しみたい。

しかし、薄給の身にはお祝い金が悩ましい。

十年前は一万円が相場だったのに、いつの間にか二倍から三倍に上がった。

そのアップ率や消費税の比ではないのに、誰も文句を言わない。

その分、新婚家庭の足しになるならまだしも、結局はブライダル産業が潤うだけというのが

悔しい。

料理は今の半分でいい。どうせ食べきれない。引き出物はいらない。

いつもタオルかシーツ、時には鍋を貰うが、使い道に困ってガレージセールに出すのが関の山。

気が済まないというなら、記念のテレホンカードで十分である。

誰も食べられないウエディングケーキは滑稽。

使い古しのプラスチックのケーキより、みんなが飲める樽酒の方が人間的である。

宴会が始まったら、二人は各テーブルを回るべし。

せっかくの余興も新婚不在ではおもしろくない。

それにしても、お色直しの時間はどうして長いのか。

演出しすぎのキャンドルサービスもいらない。

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不思議なのは会場案内が例えば『谷川家金子家御披露宴会場』と、家単位になっていること。

戦前の家本位主義がここではまだ生きている。

さらにおかしいのは、結婚式を貫く男性中心主義。

仲人あいさつはもちろん、来賓、親族代表、新郎新婦あいさつに至るまで、新婦の友人代表を除けば、

スピーチはすべて男ばかり。

男女雇用機会均等法はどこにいったのか。

イギリスの諺に曰く。「結婚は悲しみを半分にし、喜びを倍にし、生活を四倍にしてくれる」。

結婚の時から無駄な金は使う必要はない。

おかしな習慣も直すべし。「結婚指輪は給料の三ヶ月分が常識です」というCMに頷いている若いあな

た、そんな常識はまず疑ってかかることです。

(1997年11月)

「不思議なのは会場案内が例えば『谷川家金子家御披露宴会場』と、家単位になっていること」。

ドンピシャっと予言している。

谷川弥一衆議員の長男・谷川喜一氏と、金子原二郎参議員(当時は長崎県知事)の長女・金子富貴さんが

結婚するのは、このエッセイ「結婚式の非常識」が書かれてから約10年後のことである。

江口満さんにはノストラダムスのような予知能力があるようだ。

ただ、結婚の予知能力はあっても、離婚の予知能力まではなかったようだ。

「長崎浪人・中山洋次」

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし(長崎市長選挙)

平成最後の市長選挙が4月14日(日曜日)告示され、4月21日(日曜日)投開票が行われる。

昭和22年(1947)4月5日、終戦後初の公選初代市長に当選した大橋 博氏は1期だけ市長を務めたが、2期目(昭和26年4月)に日本社会党の推薦を受けて立候補したが、保守系新人の田川務氏(弁護士)にダブルスコアーの大差で敗れている。

田川務氏は昭和26年(1951/04/23 )から昭和42年(1967/04/28 )まで4期16年の長きにわたり長崎市長を務め、敗戦と被曝の中で荒廃した長崎市の復興に尽力している。

昭和42年(1967)田川市長は4期目の任期切れに伴う市長選に出馬せず政界引退。

昭和42年(1967)4月の市長選挙には保守系の諸谷義武氏が、同じ保守系の鈴田正武氏を破り初当選、その後、3期12年、長崎市長を務めたが、4期目を目指した昭和54年(1979)4月の市長選挙で、同じ保守系新人で長崎県議会議員を4期20年務めた本島等氏に大差で敗れている。

下記はその時の選挙結果である。

当  得票数         候補者名      

○ 107103 —  本島 等(新人)(保守系無所属)
     49069 —  諸谷 義武(3期) (保守系無所属)
     10978 —  深町 孝郎 (新人) (日本共産党)

諸谷市長の4選を阻止した本島氏は、その後4期16年、長崎市長を務め、平成7年(1995)4月、前人未到の5期目を目指したが、同じく県議会議員だった伊藤一長氏に大敗している。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとく敗れ去っている。

下記がその時の選挙結果である。

平成7年(1995)4月
当  得票数      候補者名      
○  105670 —  伊藤 一長 (保守系新人)
     60897 —  本島 等   現 (4) 無所属  
     33867 —  浅田 五郎  (保守系新人)
     19541 —  茅野 丈二   無所属 新人            
        325 —  若島 征四郎   新 —  政治結社正氣塾      

保守分裂と言われた選挙だったが、三つ巴の戦いを制したのは伊藤一長氏だった。

本島等氏、73歳、浅田五郎氏58歳、伊藤一長氏50歳の時である。

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その伊藤一長氏が4選確実と言われながら平成19年(2007)4月17日、あの忌まわしい悪夢のような凶弾に倒れてから12年が経過しようとしている。

伊藤一長市長が亡したことを受け、4月19日、長崎市長選挙に補充立候補した伊藤氏の娘婿・横尾誠氏に対して長崎市役所の職員だった田上富久氏が立候補、「市政は、一人のものでもなければ、もちろん、家族(伊藤・横尾両家)のものでもありません。このような形で、新しい市長が決まっていいのだろうかと…」と、市民力を訴えた田上氏が横尾氏を953票差で降して当選している。

田上富久氏、50歳の時である。

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世の中も平成から令和、あれから12年、公約だった3期12年が終わろうとしている。

田上富久、62歳、平成の名市長と惜しまれて亡くなられた伊藤一長氏の享年と同じ年齢である。

もうよかろう。

黄色い「長崎を変える」のカエルポスターが『風林火山』の旗のように長崎の街を埋め尽くしている。

かえる

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