インターネット・長崎奉行所 遠山キンシロー

回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」の上梓のご案内

は じ め に

 今でもそうだが、特に若い頃、私は挑戦的に物事に取り組む事が多く、親、兄弟、先輩、友人に「身の程を知らない」とか「分をわきまえろ」とか「身の程を知れ」とか随分と言われたりしたもんだ。だからその分、他の人よりも若干苦労が多かたったような気がする。 今思い出すと随分と無茶もしたもんである。その分だけ、色んな事も経験できたし、多岐に亘って色んな人との出会いもあったような気がする。殺されてもお付き合いはご免なさいと思うようなクズな人間との悪い出会いもあったし、死ぬまで付き合っていきたいと思う人との素晴らしい出会いもあった。 また、多くの人に迷惑をかけてきたんだなと自戒もしてるし、心から詫びたいとも思っている。

また、とんでもない事件にも遭遇した。平成15年10月24日に逮捕された「石橋昭事件」、平成17年6月には暴力団石湊会に自宅に拳銃を撃ちこまれもした。平成19年5月19日には県庁で湯呑を割ったとして逮捕された「湯呑事件」、それに平成22年12月1日には怖かったと言われ逮捕された「怖かった事件」と、3度の逮捕を経験し、通算で132日という普通の人では中々経験できないような拘禁生活も体験させて頂いた。 私も2年前に還暦を過ぎ、年齢のせいだろうか、最近は少しだけ「身の丈を知る、分をわきまえる、身の程を知る」ということを考えるようになってきた。そんな私だから家族や仲間には随分と迷惑もかけ肩身の狭い思いをさせてきた。嫁、娘(二人)、息子(二人)、孫(9人)、子どもたちや仲間たちが私の事で悪く言われることは親として忍びないという思いから、こども達や孫達が少しでも胸を張って生きていければとの思いで今回の回顧録の筆を起こす決心した。私の行動には私なりに権力と闘うという、私なりの正義がある。

 「正しきを行いて、何をか恥ずべきことあらん、
法は力にして正義にあらず。
天道に恥ずべきことなくば、天、自ら我を導く」。

私が誰よりも尊敬し、憧れた安藤昇さんの言葉である。安藤さんは昨年12月18日に亡くなられたが、私は安藤さんのこの言葉を肝に銘じて平成11年 11月30日、日刊セイケイを発刊した。安藤さんのようにかっこよくは生きれなかったが、この言葉は私にとってかけがえのない道標べであった。

日刊セイケイを発刊してもうすぐ17年が経とうとしている。平成19年6月3日、長崎県議会・三好徳明議長の議長就任の宴席に私が出席していたとして長崎新聞にはボロクソに書かれた。お陰様で「特殊知能暴力集団」との有難くない役職まで頂戴したほどである。長崎新聞社(当時の小川完二専務・現在は大村ボートの 競艇大好き局長さん)の悪意に満ちたキャンペーンには辟易すると同時に湯呑茶碗を投げつけてやりたいほど強い怒りを覚えたもんだ。更にはクズの民主党県連からまで三好議長への辞職勧告が提出されるなど今でも三好県議には申しわけなかったとの思いでいっぱいである。

そんな恥ずかしいことのみ思い出される私の人生だったが、これまでの人生に対し自戒の念と、これからの精進という観念から一念発起し回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」(長崎に権力と闘った男がいた)を上梓することを決意した。

「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」を上梓するにあたって特筆する話題といえば長崎地検の次席検事だった郷原信郎氏が手がけた「自民党長崎県連幹事長逮捕事 件」が想い出深いものがある。また、金子原二郎元知事(現参議院議員)との思い出になってしまった長崎県発注の「漁業取締船入札事件」は住民監査請求から、弁護士抜きの本人訴訟での住民訴訟までエスカレートしてしまった。結果は却下でだったが私が権力と闘った特筆すべき一項である。
長崎県の最高権力者・谷川弥一代議士には非礼なことばかり書いたような気がする。今となっては懐かしく思い出される。その中でも思いで深い出来事から選んだ記事を添削しながら、より楽しめる一冊に仕上げたいと思っている。ただ、現在も政財界で活躍されてる関係各位には多少の配慮はしながらも、記憶と記録に忠実に、そして誠心誠意、筆を運ばせて頂きたいと決意している。また、登場する個人や企業・団体には真実を読者に伝えるという趣旨から、個人情報との絡みを勘案しながらも、できるだけ丁寧に本人にも取材させて頂くつもりでいる。前 もってご案内を差し上げるように配慮はするつもりでいるが、忘却したり面会が叶わなかった場合は独断で筆を走らせて頂くことをご承知置き頂きたい。この回顧録は同時に私の恩師であり恩人でもある故元農水大 臣・松岡利勝先生に捧げる回顧録でもある。

「日刊セイケイ・中山洋二 拝」
「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」